国民文化祭・文化対談「絵を語ろう」

養老孟司(医学博士)×中西夏之(美術家)

(2005-10-27)

席は8割がた埋まっていた。

養老さんの最初の話にとりわけ興味をひいた。氏の著作に出てくる話であるとは思うのだが、(私は読んだ事が無いため)なるほどこういう見方・考え方もできるのだな、と思った。「視る」ということに対する考察が解剖学から色即是空まで多方面にわたる観点からなされている。

対して、中西さんの話は氏の絵の描き方と同様に極めて感覚的かつ抽象性に富みに富む。ついてゆけず理解から脱落する人も多いだろう。しかし、おそらく同じ感性の人にはおおいにうなづける話のはずだ。

中西さんのドローイングは徹底して感覚からできていた。論理性はまるで見当らないのだが、それをフラクタルとかの用語で論理づけることはできるかも、とか思ったな。

今回の対談、論理と感性という二極の二人による、大学の講義のような真面目な学究がなされた対談であった。笑いも1回程度しかなかったよ。

以下、二人の発言メモ(発言そのままでは無い)

養老氏

  • 線は脳がつくる
  • 線から描き始めるのは、頭の中の絵を描いている
  • ヴェサリウス
  • 絵を視るのが理屈
  • 自分で描くとものすごく下手
  • 何か造形する能力に欠けている

中西氏

  • 音楽を聴く人を聴くことはできないが、物を視る人を視る事はできる
  • 尾形光琳/紅梅白梅図
  • 視る為の装置があって(理解できる・視る事ができる)
  • 遠隔操作←→直接操作
  • 現代の洞窟=列車の中