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サブマリン707R

2巻目の潜水艦の戦闘シーンは迫力。緊迫感あふれる艦長と提督との対決。丸っこい絵柄にほのぼのさを感じてしまうけど、シリアスな話が展開する。
当時原作の漫画を読んでいて懐かしく思う人も、全然知らなかった人も、素直に楽しめるはず。日本アニメの上質さが発露されている良作。

SUBMARINE707R

サイクルコンピュータ CC-CD200N

すごく楽しい。時速やペダルの回転数や距離や時間が計測できるのが、こんなにいいものだったとは。新鮮な驚き。無駄に自転車に乗ってしまいます。

ケイデンス(cadence)の計測機能付きで、ペダルの回転数をチェックしながら走っています。計測しなければ感覚としてでしか捉えられないものが数値になるため、自分の走りを明確に把握することができます。

取り付けはマニュアルを見ながら行えば誰でもできるでしょう。ブラケットへの本体の取り付け/取り外しは簡単ですが、取り付けは最後までしっかり入れないと走行中はずれてしまいます(数回行えば、コツはつかめます)。

キャットアイ CC-CD200N

折原一『倒錯のロンド』

以下、完全にネタバレ。
ネットで調べると、この書のトリックの評価は分かれている。私は不満な方。文章もまずい。ただ、途中までは心理サスペンスの盛り上がりが良い。

本や映画のミステリーを読んだり見たりしつつ、作者(監督)はどういう構成をして読者(観客)を騙すだろうか、という視点を持ちつつトリックを私は考える。

この倒錯のロンドは、叙述トリックに慣れている人なら驚きは少ないはず。

「白鳥が盗作をした」という内容の地の文が無いため、白鳥は盗作をしていないんじゃないか、とまず想像できた。となると、山本は狂気にとりつかれていることになるな。

小説内小説はどこまでだろう、と最初の頁から考えて読み始める。結局、「第三部 倒錯の盗作 五 最後の倒錯」の章(文庫p307〜)で、プロローグ(あるいはプロローグだけは除いて、第一部)からこの章の直前までが、「白鳥が事実に基づいて書いた小説」ということが分かる。読み進める中、ここら辺で私も混乱してしまったが、後でよく考えると理解できる。けれども、作中作はトリックとはあまり関係ないな。

立花広美が殺されたあたりで、謎の3人目が殺したんじゃないか、と分かってくる。で、本の前の方のページを改めてざっとみると、永島がいるな。白鳥と永島とは違うという可能性があるな、と思う。白鳥は実は本当に小説家で盗作をしていないというトリックのようだしな。

以上のことは、おおむね当たった。もちろん、その他いろいろなトリックの可能性を考えつつ読んでいるわけだが。ただ、この書のトリックである、山本が正気から狂気に途中で変わるとか、第20回の応募要項を見て第21回の新人賞に応募するとか、山本が白鳥の「幻の女」を原稿用紙に書き写したとか、そういうことはどうでもよろし。山本の手記は事実もあるけど山本の狂気もあるので、山本の手記から何かを見抜けというのは無理。犯人の手記であっても嘘は無し、というが叙述トリックの前提だと思うが、この山本の手記は嘘がある。(作者は違うと言うかもしれないが)「『幻の女』の執筆は想像以上にはかどった」(文庫p39)という、山本の手記の文の「執筆」は嘘だろう、やっぱり。

この作品、叙述トリックが成り立っている部分もあるし、成立しているように見えて実は成り立っていない部分もある。駄作でも無いが傑作でも無い、というのが私の評価。ただ、叙述トリックが破綻しているのだから推理小説としては失敗作と言っても良い。

面白かった部分もあるけど不満なところもあるので、以上のレビュー、思わぬ長文になってしまった。

参考:推理小説の原理を詳細に考察。納得な話。
推理小説のエッセンス 第3回

専照寺


真宗(浄土真宗)のお寺。福井の古い木造建築ということで見てきた。御影堂が天保9年(1838)再建。

京都の東本願寺のコンパクト版といった感じで雰囲気がまるで同じ。思わずにんまりしてしまった。ハトがえさをついばみ、観光客が散策していたら完璧なのだが。

こうした大きな建物を見ると、福井は一向宗(→浄土真宗)の王国(であった?)というのを実感する。

追記:ジャズな寺院らしい。ユニークで楽しそうでいいね。

街の喫茶店

二日に1回は前を通る街の喫茶店に、いつものカフェに行く代わりに足を踏み入れた。

実に街の喫茶店らしい喫茶店だった。団塊世代以上の男性達がカウンターに座り、和気あいあいママと一緒に話している。ビールを飲みながら、というのが喫茶店とバーとの区分を曖昧にしてはいる。花札のテーブルゲームが奥に置かれ、コミックや雑誌も充実している。けれども、珈琲やケーキは今のカフェの水準には遠く及ばない程度。近所の子供らか親類の子供らか、店に入ってきて馴染んでいる。

しかし、ここには前を通る大勢の中学生や高校生が珈琲を飲みに入ることはないだろう。こうした世代がきっちり分かれてしまっているところにいると、このような喫茶店に例えば女子高生で席が埋まっているというあり得ないシュールな光景を見てみたくなる。

夢と希望のショッピングセンター 廃墟化の検証

ピア
ピア
ピア
ピア

倒産したピアの建物の取り壊しが始まっていた。ピア閉店後の建物がどうなるか、という予想を2003年7月にしていた。

「仮にこのまま放置された場合、窓が割られ、中は鳥の巣となり、外壁はスプレーで汚され、鉄は錆びだらけとなり、コンクリートにはヒビが入り、崩れ落下し、看板の色は褪せ、得体のしれない集団がたむろし、雑草は生い茂る」

この予想の検証をすべく、写真を撮ってきた。

2005年7月8日の状態では、自転車やゴミが放置され、消防ホースが散乱していた。建物は少しばかり毀損している部分もあった。また、以前確認した分では、掲示板にはめこまれていたガラスが割られていた。全体として廃墟化は進行しつつも、私が想定していた速度より遅い。それは、ピアの正面の駐車場がバスの駐車場として利用されていたためある程度人の気配があったからだろうし、ひょっとしたら地域住民のパトロールや清掃活動があったのかもしれない。

追記

取り壊されたのは西部分の一部で、それ以外は残っている。何故一部分のみだったのか?(2005-09-22)

あわら市 花菖蒲まつり(には行けなかったが)

あわら市の観光ガイドに、「6月上旬から約1カ月間、美を競い」とあるので、7月3日にまだ咲いているかなぁ、と思いつつ大雨の中行ってきたけど、ほとんど枯れてた。20万株植えられていると書いてあったので、ずいぶん広いものだと想像していたけど意外とそうでもなかったよ。
雨のなか歩道に小さな蟹がとことこわいて出てくるのが少し嬉しかった。

その後、サイクリングロード沿いにある暖簾も看板も無い一滴庵という蕎麦店でおろし蕎麦。

花菖蒲まつり

ジャワの風と光の中で

多数の作家の作品を見ながら、つらつら考えたこと。
布に描かれた文様や柄の配色の割合そのままの配分で、コントラストをなすように棒状に塗るだけにしてみる、というのだけでもそれは美しいだろうと考えた。また、作品ごとのそのような色彩の配分だけに注目したものを比較することも、新しい発見があるだろう。作品の中から絵や柄といった要素を取り除き、色という要素のみに昇華することに、美しさの本質への手がかりがあるような気がしてならない。
(図で例示しないと意味がよくわからないと思う。これはいずれ)

ジャワの風と光の中で

映画『ビッグ・フィッシュ』

この映画のようなファンタジーの物語は、日本の映画監督のなにかの作品に似ているような記憶があるんだけど、どの作品だったかなあ。ハリウッドのファンタジーはあっけらかんとした明るさがある。対して、日本映画のファンタジーは、仮に明るくつくっていてもどこかじめっとした暗さがある感じ。日本映画はハリウッド程、お金をかけていないからかもしれないけどさ。

キャストのスティーブ・ブシェミは、出てくるだけで笑える。変態な性格に、はまり役過ぎる。そんな役柄のイメージがついてしまうのは、役者としてはいいのか悪いのか。

ビッグ・フィッシュ