今では女性が10人いようと、20人いようと、その中独りでカフェのパフェをぱくついていることが出来る私ですが、最初はやはり照れていたはず。「はず」というのは、そのような状況の初めての体験が、すでに過去の記憶から消え去ってしまっているからです。私にとっては、どのような状況にあるカフェであれ、独りで入って珈琲を飲むというのはごく自然なことなのですが、おそらく女性が多いところに独り男性が入るのは、その人にとって入りづらいことだと思います。だって、女性がたくさんいるカフェで、独り男性がたたずむ姿を見た記憶がまるでありませんもの。逆の例は、一昔前の吉野家に女性が独りで入ることだった、かもしれません。あるいは、セクシャルな男性向け商品売り場に女性がいるというのと同じことでしょうか。
社会的性差は私にとっては意味の無いものなのですが、多くの人にとってはそれはまだまだ意識しなければならないものなのでしょう。だからこそ、女性ばかりのカフェに独り男性の姿を見る事が無い、という状況があると、ジェンダーからの視点に立てばそのように主張することは容易いはずです。つまり、このような行為には勇気を伴わないといけない、という状況に今だあるということです。私にとっては幾分面倒なことであり、時にはかなりやっかいで打破しづらいことですね。いやはや。
mikhiro 2003-02-24