広い広い庭園。歩くだけでも大変です。武生の人口規模から考えると維持費だけでもずいぶんな負担になるだろうな、とか考えてつつ散策。いや、個人的には文化水準を上げるこうした公園は大歓迎だし、多少の負担も仕方ない。けれども、もっと有効な税金の使い方としては、こうした一点豪華の公園よりも、街中の道が花で埋まっている方が毎日楽しめるかな、と思うわけで。(で、武生市のウェッブページから越前の里にかかる費用を調べようとしたけれども、判明せず。)
継体天皇の像の一部が金色に塗られているのだけど、紫式部公園の紫式部の像が金色であるのと同じなのは武生の文化なのか。 足羽山の継体天皇像とずいぶん違うのに笑ってしまった。
武生市余川町55-1
http://www.city.takefu.fukui.jp/hp/enjoy/enj0102.html
奈良時代・平安時代の越前の中心は武生でした。
奈良時代の萬葉集のうち、 中臣宅守(なかとみのやかもり)と若き妻・狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)との間の恋の歌、そして、大伴家持と大伴池主とが交わした歌、とを展示。
また、越前万歳に関して、少し展示してあります。調べてみると加賀万歳の原型となったものらしく、ごく短い期間この地を統治した前田利家との繋がりがこうして生きたのだなぁ、と思います。
武生市余川町55-1
http://www.city.takefu.fukui.jp/hp/manyou/
1800年代の庄屋の建物。国の重要文化財。仏壇が大きいですなあ。
こうした農村にある住宅と、旧岸名家住宅のような三国の豪商の住宅とを比べてみるとずいぶんと違うのに気付きます。
武生市余川町55-1
http://www.city.takefu.fukui.jp/menu/tradition/tradition_04.asp
中では、火花飛び散る製作の様子を見学できるのが良いですね。
越前打刃物の歴史は、全国トップの生産量を誇っていた時期もあったが、現在は地位が低下しています。何故廃れていったのでしょう?(調べきれず)
デザイン界では名の通っている川崎和男が関わりだしてから、現代的なデザインで甦りつつあります。
武生市余川町 越前の里前
http://www.chuokai-fukui.or.jp/~tkv/
2004年の菊人形。
意外と楽しめた。人形を菊で飾って新撰組の名場面を再現しているのだけど、微妙に古びた感覚がなかなかイイ。ゴトゴトとスローなモノレールや低い高さの観覧車など、遊具も一体何年前のものなのかしら。
会期中、New OSK日本歌劇団がショーを行っているのだけど、ネットを調べて判った事は固定ファンが関西方面から武生までわざわざ追っかけて来ている様子。来年は私も見ようと思った。