だるま屋少女歌劇

柴田勝家『北莊落城』

1934年(昭和9年)10月に、柴田勝家にまつわる北ノ庄落城の公演があった。粗筋は次の通り。

二、北莊落城

賤ヶ岳の一戰に 無念の敗北をした柴田勝家は 軍兵をまとめて北莊城へ引かへした

天正十一年五月二十三日勝家は 近親等を集めて 別離の宴を張り 夜を徹して此の世の最後を歌ひ踊り 明くれば二十四日の朝まだき夫人小谷の方諸共城を枕に自刄した 大將に殉して死する者百余人 名将勝家はかくて一首の辭世と 半木半石の九十九橋と 船橋等を我等に殘して永眠した

『少女歌劇タイムス 』 昭和九年十月号

越前は、古代から大国ではあっても負け続けることが多いのだけど、柴田勝家とお市の方(小谷の方)と北ノ庄での自害はその典型である。

「半木半石の九十九橋と 船橋等を我等に残して」:
九十九橋は、足羽川にかかる橋。勝家が、半分が木、半分が石造りの橋にし、奇矯として江戸時代を通じて知られ、葛飾北斎の浮世絵にも描かれた。
船橋は、九頭竜川にかかる橋。勝家が、船を利用して造った。

この九十九橋が、木造トラスの橋に架け替えられたのは1909年(明治42年)。1933年(昭和8年)には、鉄筋コンクリートに架け替えられた。「北庄落城」を1934年(昭和9年)10月公演した時には、既に半石半木の橋ではなくなっていた。

参考