だるま屋少女歌劇

1936年(昭和11)4月:少女歌劇タイムス

DSK珍放送
【三】春のヴァライテイ

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幕間放送

(皆樣へ樂屋から番外プロをお耳に入れます)

一、續結婚行進曲

二、紅椿よ早う散れ

三、春のヴァライテイ

春はラヂオの電波に乘つて! 國際ならぬ極彩色の DSKの珍放送 聲はすれども姿は見えぬ ホンにお前はラヂオのやうだ ニユーヨク(入浴)氣分のジヤズソング 櫻祭りプロローグ 櫻の本家は日本一 富士は花時彌次と喜多 二人は若い若くない 若い二人はパリヂエンヌ ダンスエシヤンソンプランタン スヰツチ切り替へ樂屋から サイコロ轉がす十五人 東京双六振り當てゝ 春のお芝居中繼も 五人男●捕り手が一人 負けてはならじと冥途から はるばる春のお笑ひ草 さてフイナーレのアリババは 春の御運の守り神 どうぞ皆樣アリババをお持ちになつて幸運の ●を喜び遊ばしませや と申し上げれば皆樣もオーソウだともホーソウ(放送)だとも!

少女歌劇論

・少女(セウヂヨ)のセの字はサシスセソのセにして—などゝ始めましたら 時は今春ぢやからとてボッとするのはどうかと思ふとお叱りを受けるでせう

・試みに大槻博士の大言を開いて見ますると(少女トハ年若ノ女ニシテ大實令制ニ定メタル十七才以上二十一才以下ノ女子ノ稱)とございます

・然し之は昔のお話で今日ではもう二十、二十一才の女子を少女とは申し切れない世の中となりました 極言すれば近代生活戰線の多忙混迷は十八、九才の女子にさへ少女の呼稱を許さないものがあります

・今 幾多の少女歌劇團を見ますると一流のスタアは大抵二十五才前後です 勿論中には其全体の頭數に於て十五、六、七才の女子が大部分を占めて居るものもありますがそれかとて主要な位置で活躍するのは一人前の女性が多いのです

・此理由は至極簡單です 如何に少女歌劇とは申せ現在の樣にソレ自身一個の獨立した見世物(此用語が惡ければ少女藝術或は大人の藝術に對する少女達の憧れ的表現と直しても宜しい)として興行界に乘出して居る以上 種々雜多な付加物はあるにもせよ結局は演の藝を賣物にするより致し方はありますまい そして其藝と云ふ代物は大体に於て年齢と正比例して上達するものなのでございますから(但し天才少女は此限りではありません 然し天才は極めて稀れな例外で犬も歩けば何とかの樣にさうザラに轉つて居るものではないのです)

・爰に此仕事にたづさはる誰もが先づ當る年齡と藝道の惱みの萌芽があるものと察せられます 决して名文句ではありませんが(大人がやつても少女歌劇とはコレ如何に?)ナンテ下手な問答が出來上つたり又(少女に非ず老女歌劇)ナンテ街の惡口屋の口の端に上つたり致しますのも幾分かは此間の消息を穿つたものと考へます

・扨 便宜上未解决のまゝ此年齡問題の筆を轉じて(歌劇とは?)の容問題に移りそこで此二つを合して(少女歌劇とは?)の疑問に立入つて 觀客、演、興行、三三樣の立塲から穩かに論の風呂敷をゝ擴げて參り度いと存じます