だるま屋少女歌劇

1936年(昭和11)1月:少女歌劇タイムス

少女歌劇論

(1 プロロオグ)

木曾の半藏

・そもそもコレ論(ゲロン)とは如何?などゝ開き直りますと御佛樣の方ではなかなかやゝこしいのださうですが●に標題と致しました論はそんな深遠な意味からではなく議論を捩つて論と致しました程度の輕い思ひつきからで御座います

・(エー一寸伺ひますが少女歌劇を申しますのは一体どんな代物で御座いませう?)今時こんな質問を發しましたらそれこそいゝお笑い草です 只笑はれる位なら未だしもの事 熱烈な少女歌劇フアンのお方の前でしたら或は橫つ面の一つも擲られるかも知れませぬ 然し乍ら一歩退いて飜つて別な意味に於て腕を拱いて見ますると斯うした質問もさまで可笑しくない程に現今の少女歌劇と云ふ代物は混沌として居ると申してもち云い過ぎではないと存じまする

・言葉は同じに致しましても前の樣な幼稚な意味の質問には(少女歌劇とは若い女の子許りで演ずる唄と踊りとお芝居をチヤンポンにした和洋とりどりの見世物)とお答へするだけで事足りも致しませうが後の如き一つ捻くつた奇問に對してはさう簡單にお答への出來るものではないと愚考仕ります

・非禮をも省みず島崎藤村先生の名作の標題を拝借致しますならば丁度(夜明け前)と云つた感じが現在の少女歌劇には若干御座いますまいか?

・右の樣な次第で此貴重な紙面を頂戴致しました譯で(時恰も昭和十一年の春を迎ふいでや筆硯を新にして少女歌劇議論を書かなむ哉!)などゝ四角張らずに拙い筆の赴く儘に議論ならぬ論を吐かして戴き度いと存じます

・幸ひにもお客樣方にとつては幕間の御退屈凌ぎ又DSK諸君にとつて樂屋の暇潰しにでもなるなれば筆者にとつて之は又望外の喜びで御座います