だるま屋少女歌劇

1935年(昭和10)4月:少女歌劇タイムス

◎ネメチエック少年の夢

◎春怨倭歌

◎各國の春

三月の感想

◎三月の公演   霞洞生

三月の公演は春に魁けて爽快な上乘なものばかりでした 同道の妻は ヴアライテイの春の序曲が一等よかつたと感歎する 靜物の塑像や時計迄が踊り出すのは春の眼覺めを雄辯に物語る 而し僕は筑紫獨演の幻想を禮讃する 表現に深味があり ローズの一輪を或は觀賞し或は捨て或は拾ふ所作と踊り全体又は其顏面の表情を綜合して最初に甘い戀を囁いた彼女は 中途に失戀悶々の情を訴へ又最後にバラの拾得は戀の勝利を表はすのではあるまいかと思はれた少年少女は表現を有の儘に喜び大人は主觀的に何物かを意識し印象されるのです

小さくとも  佐々木時夫

福井へ移住して始めて見る 小さくても容の充實して居るのが嬉しい 生徒諸孃の努力の点も汲む バツクも照明も良い 音樂も整つたリズム 然し福井としての見地から上出來と思ふのだ

構成が小さくとも 容充實して誠心を以て演ぜられ 新興福井市民に對して新鮮なオアシスを與へられんことを

◎初めて觀た チクリンモ

小生は當地受験の爲に來て 十八日に諸子の熱心なる藝術を拝見し かゝる小都會におく事を非常に殘念に思ふ 大都會へ遠征されんことを希望す

見た中でも 三の春ひらくの「春は馬車に乗りて」は非常に感服した その熱演は 寶塚や 松竹にも決して負けぬ事と感じた 第一の馬の拾つた功名で 濱の剣舞は元氣が足らぬ 暗轉の時 薄ボンヤリと舞台が見える 京都では 見物の方へ靑電燈にて舞台が見えないやうにしてゐる 脚色を立体的にやられることを望む 時代は平面的より立体的に複雜化してゐる

最後により一の向上發展をる

◎個人的短評(承前)  永生

筑紫光子— 千草と同じく過去三年間舞台に活躍した人で 鯖江聯隊のラツパを子守唄として育つた代物 ミス名古屋新聞の募集にミス福井として入選した程の美人(?)で 何時も素晴しい演技を見せ フアンを喜ばしてゐる して 男役が似合つてゐるが をいへば 表情が不自然で技巧的傾がある樣だ 些細な点に注意すれば 斷然ナンバーワン 此の人は聲の人でなく 藝の人 まだまだ伸びる素質を充分に持つてゐるが こゝで停滞しては 駄目 更に更に勉を要す 最近の演技で好評を博したものは 殿樣自由廢業のお殿樣 光は東方よりのチエンハン等 數へるに骨が折れる

彌生伶子—同じく一期生 可愛い台詞と巧な表情を以て觀客を最後迄魅惑する といふ持主だ 役割には八方向き 二月公演の小鳥籠で鮮かな名君振りを見せ好評を博してゐるが 最近のものでは 北莊落城の茶々 光は東方よりのルシイに扮し 其の可憐な表情は 役柄を充分生かし 觀客の涙を誘はしむる演技振りで 自分の個性と技倆を生し 巧に舞台の上に活用する事に就ては 全く賞讃に価する 喜んでは駄目だ まだまだ 舞台に見る彼女の姿は熱が足りない

更に熱と力を倍加して自由に伸びなければならない

春日陽子—二期生 其の名は云ふ迄もなく 當歌劇部の花形だ 彼女は見るからにインテレクチユアルな面の持主で 山椒は小粒で ピリリとは げに彼女のことを云ふのだ

体は小さいが 板についた演技振りといひ 癖のない台詞といひ 賞讃價値百パーセント 當歌劇の舞台が もう少し廣ければ 彼女の演技はもつともつと伸びてゐたかも知れないが 舞台の狹隘は彼女の演技に窮屈を忍ばせ 充分なる技倆を發揮することを阻止した感がなからうか

彼女は いかなる役に扮しても 其の役柄を十二分に咀嚼して 舞台に輕快な姿となつて現はれてゐるが 惜い哉 身長の短尺は役割八方向といへない なんとなれば 余りにも可愛ゆく過ぎて 或時は可愛い女房に 或時は可憐な乙女に扮し フアンからは賞讃の言葉を浴びせられてゐるが 最近のものでは トムソーヤ パツクの惡戯で妙技を演じ 彌次喜多の彌次に扮して觀客を抱腹倒せしめ 更に 三月公演のお奥樣はお人良しには カザリンに扮して 又々好評を博してゐる

もつともつと勉して小成に滿足せず 來るべき新しい人々の先驅となつて進むやう頑張りを望む

D・S・K・クローズ・アツプ

(その二 筑紫光子君の卷)

昨年十月 名古屋市公會堂の或る會で 某氏筑紫君を紹介するに大聲一番(北陸のターキー筑紫光子孃!)と叫んだものだ 續いて(だるま屋少女歌劇のスターとして 唄に踊りに お芝居に 其才能を發揮し云々)と 之を聞き乍ら あの廣い公會堂が破れる樣な拍手を浴びた筑紫君の胸中や如何に?

(北陸のターキー)とは 前にも●々呈せられた讃辭だが 藝と云ふよりは 筑紫君の持つ個性所謂近代的明朗性に於て ターキーと一脈相通ずるのではないか? 勿論ターキーの將來性にも疑問符はあるけれど現在の筑紫君が 暫し其藝道の先達にターキーを撰むと云ふ事もち無意義でないと信ずる

で 此二を外面的に觀ると 咽肩脚と云ふ三つのヒラキが見出せる

嚴密な意味では ターキーの咽もフアンの樣に激賞出來ぬが 筑紫君の咽には 反對にも賞められない物が含まれて 唄に台詞に損をして居る 又其肩と脚には長時間のプラクテイスを必要とする

以上が突破すべき筑紫君第一の關だ

別に 第二の關は 其表現に深味を缺く面的問題だ 深味は不必要 只純眞明朗であればよいと云ふのは 余りにも贔負の引倒し的同情である 今の筑紫君が 洗練され深味を增した舞台を想像しただけで 之は明白だ

とは云へ 常に千草君と並んで活躍し 數多い當り役に好印象を残す功勞者だ 千草君に地味で堅實な後援があれば 筑紫君には 又溂とした華やかな聲援があつて 相共に現在のDSKに 確固たる存在を示して居る

終りに 筑紫君の進む道は? 唄にせよ 踊りにせよ 演技にせよ 或は又 少女歌劇の男型にせよ 筑紫君自身が撰ぶべきだ 此處には只 若干の參考を示したに過ぎないが 未來ある筑紫君にとつて 忠言ともなれば幸ひである

—附記—

筑紫君に就ては未だ書き足りないが 別の機會に讓り度い

第二回
女子フアンの會

                        しやうじ

先月の會に 次回も引續き開催することに相談が决しました どうぞ多數に御來會下さい。

日時 十二日午后二時

場所 だるま屋食堂

會費 金貳拾銭

萬承所又は食堂勘定台へ御申込み下さい

五月豫告

◇美はしの友情 三つの小皿  五場

◇ダンス・エ・シヤンソン 春・三部作の 3 春とざす 10節

◇純情ロマンス ネメチエック少年の夢(大尉の卷) 5景

第六回
歌劇を語合ふ會

伊藤 谷川

福岡 鈴木

四月の會は 二十日(土)午后二時より開催します どうぞ御參加下さい

場所 だるま屋食堂

會費 金貮拾錢

萬承所又は食堂勘定台へ御申込下さい