ミステリー

2001.01.22-23

占星術殺人事件 島田荘司
十角館の殺人 綾辻行人
評価が固いものを読む、という頂上作戦をとりつつ、上記2作品を読む。
金田一で鍛えられているので、トリックや動機が推理できる、というか、これらの作品から金田一のトリックが作られているのだろうから、当然の話。
それをもっても、占星術殺人事件 はすごかった。十角館は、僕のなかでは、もう一つだったけど、充分楽しめた。

「十角館」は偶然読んだ事がある。文字表現ならではの思考ゲーム、という感じだったかな。

オリエント急行の殺人
アガサ=クリスティー
早川文庫の200頁目で、判りました。
ま、有名だからどこかでトリック/犯人などの情報がインプットされていたのかもしれないけれど、な。
残り161頁でその確認をすることになる。

僕は映画の方が記憶に残っている(原作は読んだ事があるか、どうか・・・)。
確か関係者が12人いたっけか。13番目の裏切り者に対して。

笠井潔、という作者のミステリーがなかなか、という話を聞くが、結局左京図書館で見つけるも、借りなかった。


そして誰もいなくなった (ネタバレ)

2001.01.27

アガサ・クリスティー
『そして誰もいなくなった』
第14章 の一番最初の文。
これがあるので、このトリックは破綻している。
思うに、叙述トリックという分類にあてはまるミステリーだと思うけれど、この1文の為に、トリックの整合性が保たれず破綻。
そして誰も推理できなくなった、のだ。
これを映画化されたものを一部少し見た記憶があり、犯人もだいたい覚えていたので、こいつが犯人だとすると、どう叙述されてゆくのかな、と注意深く読んだ結果、推理不能、ということが分かった次第。
トリックが破たんする致命的な単語、がこの文に含まれており、さらに、もしこの単語がなくとも、やはりこの1文はこのトリックをダメにしている、と判断できる。
日本語訳だからかな。原文はどうなのだろう。
当然、ミステリー好きからは指摘されているとは思うのだけれど、どうしたものでしょ。

これを読んで判ったことだが、『十角館の殺人』は、『そして誰もいなくなった』を綾辻行人が書くとどうなるか、という小説だった。


予定調和な物語&シベリア超特急

2001.01.27-02.03

一見ストーリーがあるかのように見せ掛けて、本質はパズル、というゲームは昔から好きじゃ無くて、ミステリーでもパズルを解くことには、あまり僕は熱心では無いな。好きなのは、作者との知恵くらべだ。作者は読者を如何に驚かすか、ということで物語を作ってくるだろうから、作者の物語をつくる手順を読み切って犯人を当てるとかいうのが、好きなんだな。

ふむふむ。

映画でも小説でも、予定調和な物語を裏切り、観客/読者を驚かせようとする作り手がいて、更にそれを読みきろうとするのでありまする。

うん、
予定調和な物語は作るまいと意識しても、手法の未熟さによって結局ステレオタイプ化してしまう作品や、予定調和な物語を作り始めたはずなのに、ついつい逸脱し始めて前人未到の傑作になってしまう作品とか、それこそ表現の形態は星の数ほどありそうだ。

シベリア超特急、は、物語を作る上での禁じ手らしきものを使ってくるらしいので、見てみるか。
水野とホラー小説の賞をとった例の人とが対談しているのをちらり。
と、Oは判るだろうと勝手に判断して固有名詞を説明抜きに出しているけど、大丈夫かしら。

OK。「タモリ倶楽部」やみうらじゅん経由で。ホラー作家は『リング』の鈴木光司か?

いや、岡山の、ぼーほ云々とか、書いている女性の作家。名前は忘れた。
彼女は、やたらと、シベリア超特急が素晴らしいので、人に見せている、と言っていたような気がする。

おお、ルール逸脱小説と名付けたあれも、小説の1形態ではある。最初は、なんだこれは、と思っていても慣れてくると良いと思うかもしれない、あるいは、なにごとも突き詰めて洗練させれば人に感銘を与えることも可能だから、投げ出したくなる形態でもそのうちいいものが出てくるかもしれない、な。

しかし、あれはやはり文体がちとつらいな。ぱっと見(読み)ではあるけれど。

僕も流し読みだった。