同じ命題、再び

2000.11.1

なにをしようとしてもまず理論から僕は入ってしまい実践にまで到るには長い時を経なければいけない傾向に終止符をうつ為、
いや、こう書いたが、それはレトリックに流されているな。本当はそうでもない。でも、人は書きはじめると勢いがとまらなくなるのではないかな。コラムとか随筆とかのおちなど、本当にそうなのかな、と疑問に思うべきなのかな。書き進めてゆくとそこに現われた文章が、書き手自身をも騙してゆく。思考の流れ、確かに経験されたはずの過去、それらを微妙に歪めてゆく。
結局、このテーマになってしまったな。
このレトリックが書き手の僕を動かして書かせた文章は、次の通り。
「・・・傾向に終止符をうつ為、印刷をしてしまうことにしたのだが、再び色彩理論を押さえておかなければいけないと思うここ数日」
ここでキーを打つのをやめた。ここまで書きながら本当のことではないと気付きながら、キーを打つ手は休まらなかったのだ。

という一連のエピソード、面白いね。
「書く行為」にまつわる色々な話を思い出す(ジョイスの「意識の流れ」とかシュルレアリスムの「自動記述」とかのうろ覚えの話から、「どうして自分に学術論文が書けないのか」という卑近な例まで・・・)。
「文は人なり」とかいう言葉は良く表現したもので、「人間=言葉」というのは案外当たっていると最近感じる。人が自分の言葉さえ手に入れられれば、他の属質(人種や出身や財産や地位や・・・)に惑わされる事は無いだろう、と。
そこまでの道のりはやたら険しそうだけれども。
「自分史・ライフヒストリー・自分を語る」は教育学の分野でもかなり注目されてて、それを専門にしている研究者が教育学部にもいるよ。
教育学・心理学・社会学・人類学と隣接分野を包含するテーマのようだ。


ボーンコレクター

2000.11.8-9

ボーンコレクター
DVDでレンタル。緊張感が最初から最後まで。面白かった。

犯人は映画の構成上誰がなるだろうか、と考えて途中で完璧に当てました。証拠とかから推理するのではなくて、映画上誰が意外だろうか、ということ。
ははは。
僕の勝ち。

DVDには特典映像や音声が多くて、映画本編を見てから、今これを見ているのだけど、なかなかいいかもしれない。映画の映像が流れつつ、それに解説が入っていたりするので、映画の裏側を知りたい人にはたまらないだろうな。

アニメの特典映像、特に誰それへのインタヴューとかはさっぱりなので、見習ってほしいな。

ボーンコレクター
DVDでレンタル。緊張感が最初から最後まで。面白かった。
犯人は映画の構成上誰がなるだろうか、と考えて途中で完璧に当てました。証拠とかから推理するのではなくて、映画上誰が意外だろうか、ということ。
ははは。
僕の勝ち。

映画の構成上・・・配役上(俳優のネイムヴァリュー)という事かな?それともどの登場人物だったら一番意外性があるか?という判断かしら?

うーん、詳しく言うと判ってしまうからあれだけど、物語の進行から読みといた、ということ。

ネイムヴァリューでもないし、どの登場人物だったら意外性があるかの一番でもないな。まあ、2時間ぐらいある映画かな、その半ば(1時間ぐらいかな)で、あ、この人、と判ったのさ。

最後の行に書いておくから映画を見てから読んでくれ。書いておかないとこちらは忘れてしまう。

基本的に作者との知恵くらべで、誰が犯人か、どのような結末になるか、と考えるのは好き。

エラリー・クィーンだったかな、Xの悲劇か、Yの悲劇かでも、犯人は判ったしね。でも、あれは有名だから読む以前どこかで犯人の情報が頭の中に刷り込まれていたのかもしれない。(ああ、しかも昔のことだから、記憶への疑念が発生!左京区図書館の文庫を借りて読んだのだったと思う)

パーフェクトブルーでも、下鴨神社付近で、どのようなトリック・結末を使うだろうか、予測をたてて君に説明したことがあったでしょ。結局それは劇中劇のトリックとして使われたので、半分は当てたと思ったな。






ネタばれ*************************************************
つまり何故ここでこの人がスクリーンにでてくる必要があるのかな、という点。それともう1つは、こういう風に内情を探るためか、と思ったけれど、それは描かれなかった。)


床屋

2000.11.28-12.1

明日より寒波襲来らしいが、
短く散髪するつもりです。
風邪を引くなどという事態に陥らないよう、祈っててください。

僕も散髪に行かねば、、、

群馬の地元の美容院のカットから3ヶ月(手を抜いてます)、さて短くするか、と例の大学近くの床屋に出掛けて、担当の若いお兄さんと交渉しつつ、まあこんなもんかな、と納得で終えようとしたところに、(午前中で客が少なかったからか、)かしらの主人が「ここはこうじゃなきゃあかん」としゃしゃりでて、あれよあれよという間に、全く納得できない結果になってしまった。
呆然としていったん床屋を出たが、直後やはり引き返し、「追加料金払ってもいいから、もうちょい切ってくれ」と要望。
結局、わけのわからない短髪ができあがりました。
親方−徒弟制ないし家父長制を引き摺っているようなシステムであることは、まあいいにせよ、しかし老いたオヤジと若い見習い&客の、美的感性は明らかに違うので、オヤジはオヤジの客だけを相手にして欲しい、と。
若い見習いが手がけた仕事に納得していただけに、その後のオヤジの暴挙に対する僕の沸沸たる思いは・・・・。
まったく床屋への不信がつのる。

うるさく話をしなければならなくなったりするところは面倒だね。

僕も髪型は、ああしたいなあ、と思っているのだけれど、決してなることがないので、悲しい。でも最近は人と会うこともほとんど無いので、きちんとした格好をする、というのはいわゆる自尊心に依拠している。